ひたちない連絡所だより

     
        庭の畑のキュウリの花です。      7月1日

                    7月からの連絡所だよりは、こちらへ
 小松菜の収穫
 5月半ばに種を播いた小松菜が、収穫の時期を迎えました。6月17日に来た八王子からの5人の客人の食膳に上りました。播く時期を1週間くらいずつずらしてあるので、24日には第2陣が収穫期。毎日せっせと小松菜を消費しています。
 小松菜の次は、ピーマンかな。花が咲き、小さな実がついています。トマトもいいかも。そして、インゲン、キヌサヤ、キュウリ、カボチャ、スイカ、枝豆。葉ネギは庭の隅に植えられていたので、畑に一列、株分けして植えました。ギョウジャニンニクもニラも、アスパラも出ています。ニラは少しずつ切り取って「にら玉」に。
 アスパラが育ってきたら、そのちかくにシソ(青じそ)が顔を出しました。よく似た草も近所に生えているので、取る草と育てる草の見分けが大切です。
 前の持ち主がきちんと植えていたのです。ありがとうございます。

 手前は小松菜、向こうは枝豆。葉っぱがだいぶ虫食いですが。 7月1日

  インゲンの花。

 芝生から隣の環境改善センターを見る。だいぶブラインドになってきました。

   キヌサヤの花です。

 宴会場は芝生に
 屋外宴会場は、砂利ではなく芝生になりました。地元の阿仁土建のご主人が秋田大学の後輩だったので、いろいろ相談して、コンクリートの縁石で囲んで野芝を植えてもらいました。7月の燻製作りのときにはしっかり宴会ができます。
 宴会場に続いて、カマドを造成中です。土を削って砂を敷き、煉瓦を積んで作ります。ここが燻製作りの現場になります。

  緑が濃くなりました。

 手前がスイカ。果たして食べることができるか?
 向こうはサツマイモ、葉ネギです。

  トマトの実ができ始めました。

  前庭ではバラが咲いています。
                                        (7月1日)

 真夏日
     
      比立内駅構内の花壇。近所のSさんが育てています。  6月6日

 きのう(6月7日)は、いつのまにか真夏日。秋田県の内陸部では気温が30℃を超えました。空気が乾いているので、日陰にいると気がつかなかったのですが、駅の外に出てびっくり。日差しが強すぎる!
     
 駅にときどき来るおばあさんが、アイコとシドケをたくさんくださいました。量が多いので、和え物を作ってみました。左から、シドケのごま和え、シドケのごま味噌和え、アイコのワサビ味噌和えです。酒がすすみました。

<菊とスミレとコスモスと>
 連絡所の東の花壇をどうしようかと考えていたら、近所に住むおばあさん、Sさんが、芽の出てきた菊の植え替え(挿し木)をしてくださいました。去年まで、清水さん(連絡所の前の持ち主)のおばあさんといっしょに、手入れをしていたそうです。
 何の芽が出てくるのかわからないので、まだ手をつけていなかった花壇ですが、名前の知らないきれいな黄色の花が咲きました。5月末になっても空いているスペースを耕して、とりあえず苦土石灰を撒いておきました。コスモスの種でも播こうと買って戻ったら、そこにはすでにコスモスの小さな苗が。そしてスミレも植えられていました。うーん、以心伝心、というか、考えることは同じなのですね。Sさんは、比立内駅の構内にも花壇を作っていて、いつもきれいな花が咲いています。
 また、隣のMさんと前のEさんが、手の空いたときに連絡所の庭の草取りをしてくださるとのこと。私も少しずつ取ってはいるのですが、しだいに伸びてくる草が気になっていたとのことです。ありがとうございます、とお願いしました。お返しは、魚かな。
 5月あたりから、庭のあちこちに怪しい植物がまとまって顔を出しています。どうも、ニラとネギとギョウジャニンニクのようです。Mさんに聞くと、やっぱりそう。前の持ち主のSさんの置き土産です。感謝! Mさんに増やし方、使い方を教わりました。
 さっそく6月5日にネギ(葉ネギですね)の株を2つ掘り出して、株分けして畑に植えました。どのくらい大きくなるのか楽しみです。ニラはときどき収穫して料理に。ギョウジャニンニクは、花が咲いて増えるとのことなので、隣の空きスペースを耕して畳1枚分のギョウジャニンニク畑にしようと思います。
 そう、ネギの横にはアスパラガスも顔を出しました。最初の1本はそのままにしておいて、後から出てきた2本をおかずにしました。

  この黄色い花、あちこちにあります。
             5月27日

  6月4日の畑です。左は支柱につるものネットを装着した、キヌサヤとインゲン、キュウリ、カボチャ(坊ちゃんというミニ品種で、ネットにからませるそうです)。
 ツツジの季節になりました。

 これがギョウジャニンニク。畑で育てるともっと大きくなります。 6月5日

 手前にアスパラ、奥にネギ。写っていませんが、もっと右にニラの群落が。ニラは、宴会場スペースの土を一輪車で運んでドドッと落とそうとしたとき、何かの芽がまとまって出ているのに気がついて、土を盛らずに様子を見ていたらニラになったという危機一髪のできごとがありました。 6月5日

<寒い朝> 
  5月30日(月)は肌寒い日になりました。天気予報で31日が晴れとのこと、冷え込みが心配になり、きのう寒冷紗をはずしたばかりのキヌサヤ、インゲン、そして植えたばかりのナスとピーマン、カボチャの苗に、あわてて寒さ対策を施しました。何しろ、5月26日(木)の朝の連絡所前の気温が5℃だったのです。
 

 5月27日の庭。手前の四角は宴会場スペースです。秋田大学の後輩がやっている地元の土建屋さんに相談して、芝生にしてもらうことにしました。
 畑は寒冷紗のトンネルと、苗保護用の新聞紙。左奥はマルチシートを敷いてあります。いろいろ試してみました、の段階です。

 種を箱播きして、畑に移殖したインゲン。まだ本葉が2枚なので、ちょっと早いかと思いましたが、ちゃんと根づきました。 5月27日です。

 5月30日夕刻、急いで寒さ対策。前日にトンネルをはずして支柱を立て、まず片面だけつるものネットをつけた状態に、寒冷紗とビニールで風除け・寒さ除けを施しました。

 ナスの苗も、古紙回収に出すポスターでくるみなおしました。 5月30日。

 5月31日(火)、予感が的中。朝4時半に外の温度計を見たら、4℃。まったく寒い朝です。苗はだいじょうぶかな。
 ピーマンの苗の葉に、早くもテントウムシが。ニジュウヤホシテントウ(黒い点がいっぱいある)という害虫です。つまんで踏みつけました。虫との闘いが、もう始まりです。
<春は山菜>
    
         杉林も、明るい林床は山菜のポイント。  2011.5.26

 山菜シーズン真っ盛り。麓のほうではそろそろ終盤ですが、ひたちないはまだまだ楽しめます。いや、楽しむと言うより、貴重な食料となっています。
 バッケ(フキノトウ)に始まり、コゴミ(クサソテツ)、ウド、それに初めての山菜「ボンナ」(ヨブスマソウ・これはおいしい!)。今年はワラビのあく抜きに挑戦しています。1回目はアクアク、2回目はニチャニチャ。今度、3度目の正直に挑戦します。
 連絡所周辺にはアサツキがたくさん。庭には、先代が植えていたらしいギョウジャニンニク、ニラなどが出てきて、びっくり。
 ひたちないではこの時期、あちこちの家の前でゼンマイ干しをしています。私は手間がかかるのでゼンマイは採らないのですが。
 前の家のEさんにタラノメの天ぷらを、近所のおばあさんにコゴミの胡麻和えを、上桧木内の松本さんにはコシアブラの煮物をいただきました。
 道の駅で買ったヒデコ(シオデ)もおいしいので、山で見つけたいと思っています。まだアイコ(ミヤマイラクサ)とシドケ(モミジガサ)は食べていません。
 きのうは帰りの道端でウドを1本採って、酢味噌和えに。山菜の時期は、青物野菜を買わないで過ごせそう。いや、経費節約のため、がんばらなければ。明日の朝、また採ってこようっと。
    
      杉に相性がいいアイコです。    2011.5.26

<夏は野菜>
 ひたちないでは、どの家も自家用の畑(庭が畑)を持っています。連絡所にも畑が。そこで、夏場の食料を確保すべく、畑を耕しています。
 きょうまでに種を播いたのは、キヌサヤ、インゲン、枝豆、小松菜。苗はキュウリ、ナス、ピーマンです。少しずつ播いて収穫時期をずらします。つる性の野菜は、支柱を立ててネットを張り、宴会場のブラインド代わりにします。
 ひたちないは夜の気温がまだ低いので、寒冷紗やマルチシート、それに、苗は新聞紙で保護。近所の人たちは、根がつくまでの間、肥料などの入っていた丈夫なビニール袋を利用して、苗を保温しています。
 そんなわけで、早朝と日暮れ前の畑仕事が定着しています。でも、果たして無事に収穫ができるでしょうか。
 おそくなりましたが
 5月8日に光が開通、ホームページの更新もメールもできるようになりました。
 今後ともよろしくお願いいたします。
     
          5月15日の連絡所。左はツクシを採るFさんです。
   
 

 お知らせ
 2011年4月1日から、私は秋田県北秋田市の住民となりました。新しい仕事は、北秋田市の臨時職員。内陸線再生支援室の、「駅スタッフ」となりました。阿仁合の庁舎にある「秋田内陸活性化本部」が元締めなのですが、私の主な任務は、ひたちない連絡所至近の比立内駅と周辺の活性化です。
 比立内駅は、内陸線としての開業後しばらくは有人駅・委託駅でしたが、その後、無人駅となっています。駅にはかつて農協が入っていたスペースがそのまま空いていて、去年は「がっこカフェ」という楽しいイベントがありました。そのスペースを活用して、地域の人たちといっしょに賑やかにしようという目的で、私が配置されたというわけです。
 まだスペースの整備はこれからですが、このサイトに新たに「ひたちない駅だより」(仮称)のページをアップする予定です。

 なお、まだひたちない連絡所がインターネットにつながっていません。光通信の工事が、大地震の影響で遅れているため、開通は5月8日夕刻になる予定です。それまでは、関係者の回線を借用します。そのため、メールをいただいてもなかなか返事ができませんので、ご了承ください。
 はつかり号、北へ               3月30日増結
 大変な地震と津波に衝撃を受けています。被災地はどこも私が行ったことのある町なので、悲痛な思いです。また、原発では心配された事態が起きています。お見舞い、というには過酷過ぎる現実です。
 3月12日から予定していた私のひたちない行きも、もちろん延期。引越し荷物を運べないまま、翌週の三連休も、新潟経由で行こうと考えましたが、秋田県のガソリン事情がまだ悪いので延期。やっと26日(土)未明から、関越道・国道7号経由で、「はつかり号」は12時間かけてひたちない連絡所に到着しました。以下、その報告です。
 
<日本海側を北上>
 26日午前1時40分に八王子を出発。圏央道から関越道に入りました。赤城高原サービスエリアのガソリンスタンドが開いていて、車が1台もいないので、とりあえず給油。話を聞くと、前日からやっと24時間営業ができるようになったとのこと。2,000円でほぼ満タンに。
 関越トンネルを抜けると、激しい雪で、路面はシャーベット状。速度を70〜80キロに落として走ります。走る車が少ないので、追い越されることも追い越すこともほとんどありません。
 越後川口からは気温が高いせいか、路面は濡れている状態。速度を100キロに上げたら、今度は激しい横風。ちょうど低気圧が通り過ぎたようです。西風なので、防風壁にさしかかると車が左に寄り、壁を抜けるとまた右に振られます。80キロメートルでも怖いくらいで、新潟市あたりまで60〜70キロメートルで走りました。
 黒崎サービスエリアでまた並ばずに給油。「2,000円だけです」と言われましたが、それでも満タンに戻りました。
 日本海東北道の終点・神林で降り、国道7号へ。村上の三面川を午前7時に渡りました。ここから羽越本線勝木駅までの35キロメートルは、海から離れて山を抜けるのですが、ここでまた激しい雪。路面はシャーベットから圧雪。そして海岸に出た勝木からは、路面の雪の代わりに、海からの強風。荒波の飛沫がみぞれに混じって飛んできます。
 山形県に入った温海付近でセブンイレブンに入ったら、品物の品目が少なく、空いた棚が目立ちます。まだ物流が立ち直っていないようです。でも、肉まんとシュークリームで満足。
 このあたりから、強風は影を潜めました。庄内平野に入り、山形道の鶴岡インターから酒田港インターまでの無料区間を走り、再び7号へ。すると、国道沿いに長い車の列。ガソリンスタンドの給油待ちの車です。びっくりしながら秋田県に入ると、小さなスタンドが開いていたので、車を入れました。「すみません、10リッターまでしか入れられませんが」と、経営者の奥さんらしい人の秋田弁。10リッターを入れてくれたあとで、5キロくらい先の出光だと、満タンにしてもらえるそうですよ」と教えてくださいました。「会社系列によって状況がまったく違うんだよ」とご主人。八王子ナンバーの「はつかり号」にたくさん荷物を積んでいたので、被災地へ向かう車だと思ってくれたのかも。でも、また満タンに近くなったので、大丈夫。その出光のスタンドには20台くらいの列ができていました。
 西目からは日本海東北道の無料区間を大内まで走り、国道105号へ。比立内へ続く105号です。初めて走る出羽丘陵のアップダウンは、春の日差しに照らされていました。
 上桧木内のなか志ま旅館の食堂に着いたのが12時20分。ここまで八王子から11時間かかっています。おかみさん、ご主人と挨拶して、おいしい五目ラーメンを食べました。
 大覚野峠の阿仁側は、激しい雪。路面はシャーベット。3速でていねいに下りました。連絡所には13時20分到着。休憩を入れて12時間の、今回のロングランでした。
 
<ガソリン事情>
 東北自動車道が一般車も通れるようになりましたが、被災地へ向かう車が多い上にガソリン事情がまだ不安だったので、関越道を使ったのですが、新潟、秋田県内は心配なく給油できる(もちろん品切れ休業のスタンドもだいぶありましたが)ことがわかりました。比立内の松橋石油(出光)でも、満タン給油ができました。25日の東北道は、各サービスエリアのスタンドとも、2,000円までの給油だったそうです。
 
<雪かき>
 ひたちない連絡所に着いて、「はつかり号」をとなりの生活改善センターに置き、まず、駐車スペースの雪かき。駐車スペースには20センチくらい雪が積もっていました。
 車を入れて、今度は荷物を運び入れて、やれやれ。水道も、ちゃんと出て、もうすぐ春です。
 阿仁合の田村理容店に行き、3ヶ月ぶりに調髪。連絡所に戻って、北側の屋根の「かまくら」状態を解消しました。屋根の雪と落ちた雪がつながっていると、凍った雪の融解と再凍結で家を傷めてしまいます。来るのが2週間遅れましたが、これで一安心。
 ぐっすり寝て起きた27日(日)は、池の周りの雪を池に投げ込みました。畑にはまだ1.4メートルほどの積雪。宴会場設営作業を早く始めたいので、その予定スペースの雪は少しずつ池に投げる予定。
 
<タンカー・トレイン>
   
 被災地へガソリンを運ぶタンカー・トレイン。EF81形がタンク車16両を牽引する。
                          2011.3.27  奥羽本線鷹ノ巣―糠沢

 今は鉄道写真を撮る意欲が湧かない状況で、今回もコンパクト・デジカメしか持参しなかったのですが、これだけは撮っておきたいという列車がありました。それは、被災地にガソリンを運ぶ石油輸送列車です。横浜市の根岸から、上越、羽越、奥羽、そしていわて銀河鉄道(旧・東北本線)を経由して、盛岡貨物ターミナルまで、専用のタンク貨車で編成された臨時貨物列車が毎日運転されています。この列車の運行開始の様子はテレビのニュースでも放映されました。
 この列車、鷹巣を15時40ごろに通過するとのことで、27日(日)、ひたちない連絡所で昼食の雑煮を食べ、池の周りの雪かきをしてから、車で出かけました。
 鷹巣から一つ大館寄りの糠沢駅近くの田んぼで、列車を待ちます。ハクチョウたちが遠くの田んぼでエサを食べています。
 15時44分ごろ、重い列車の響きが聞こえてきました。まもなく、ピンク色のEF81形電気機関車と、その後ろに連なる緑色のタンク貨車の列が見えました。全部で16両。貨車自体の重さを入れると1,000トンにもなる重量です。シャッターを押したあとで、私は列車に大きく手を振って見送りました。
 
  3人の「雪かき紀行」             2月13日増結
 2月4日未明に「はつかり号」で八王子を出発、イワナ釣り仲間のSさん、Uさんを応援に頼んだ「雪かき紀行」に行きました。穏やかな天候で、連絡所の水道もすぐに出ました。おかげで作業はとてもはかどりました。
 4日は昼から午後4時まで3人で作業を行い、Uさんに食事の下ごしらえを頼んで、私とSさんは5時まで雪かき。そのあと、打当温泉で温まってもどり、6時半ごろから連絡所で夕食、宴会。午後9時にはみんな寝てしまいました。

 2月4日の昼前、3人が到着したときの連絡所。屋根の雪は玄関を除いて落ちていたが、右側の1階部分は「かまくら」になっていた。

 まず、車の入るスペースを作る。「塹壕」の写真右側は1月29日にどかしておいたので、左側を削って流雪溝(写真奥)に流し込む。

 車のスペースがほぼ空いた。奥ではSさんが「塹壕」の段切りをしている。4日は玄関前の雪をどけて終了した。

 5日朝は、いよいよ「かまくら」くずし。Sさんが「かまくら」の屋根部分に乗って雪を下ろし始めた。Sさんは剣道5段、青梅マラソン出場の猛者である。
 翌5日は、6時過ぎに朝食を食べて、7時から作業。北側の屋根の雪を流雪溝まで運んでいたら、作業を見ていたおばあさんが、「あんたたちのことを見るに見かねて助言するよ」と、杖を突いてやって来ました。流雪溝までは遠いので、西側の、環境改善センターとの間の連絡所の敷地に雪を投げて固めればいいとのこと。「春には解けるんだから」の言葉に、一同、納得。そのおかげで、12時半に区切りがつき、森吉山の樹氷を見に行くことができました。
 樹氷見物から帰って、Uさんは夕食の準備、Sさんは南側の屋根の下に「マッターホルン」になっていた雪を、池に投げ落とします。私はSさんが身を挺して屋根から落とした灯油タンクの周りの雪をどけました。そしてまた打当温泉で温まり、戻って夕食。この日はもう少し遅くまで飲みました。晴れ上がった夜空に、オリオン座や冬の六角形、すばるもきれいに見えて、感動的な夜でした。

 「かまくら」を崩し終わったSさんが次の目標へ向かう。玄関屋根の雪である。下からファンヒーターで暖めているので、すぐに滑り落ちるはずだが。

 Sさんがスコップで真ん中をたたくと……。

 一瞬で片側の雪が全部滑り出し、Sさんは足を取られて転倒。しかし、とっさに反対側の雪に手を差し込んで、事なきを得た。

 近所のおばあさんの助言で、「かまくら」を崩した雪の半分を西側の敷地に積み、作業は大幅にはかどった。

  2月5日午前の部の作業は無事終了。玄関前で安堵するUさん(左)とSさん。

 5日午後は森吉山の樹氷見物。大きく育っていました。

 晴れて冷え込んだ6日の朝、末端冷え性のUさんは台所のかたづけと掃除。私とSさんで池周りの雪を池に投げ込んだ。23日に落とした物置の屋根にその後積もった雪は、マットレス状のまま向こう側に滑り落ちていた。

 東側には2階の屋根から落ちた雪が山になっている。朝は堅雪で、歩くのが楽しかった。
 6日朝は放射冷却で、連絡所の玄関の雪囲いの温度計はマイナス8℃。末端冷え性のUさんに外の作業は酷なので、台所の片付け(Uさんはイワナ釣りのときの料理長なのです)と部屋の掃除をお願いしました。おかげですっかりきれいになりました。
 午前9時に作業を終え、身支度や水道の凍結防止栓の処置をして、9時30分に連絡所を出発。途中、雫石の道の駅の温泉に浸かって身体を温め、一路、東北道を南下しました。
 
 この雪かきで、冬の峠を越えた手ごたえがするのですが、まだまだかな。11日からの三連休は八王子でデスクワークに勤しんだので、次回の連絡所行きはは2月19日(土)の夕刻から20日(日)午後までとなります。
 すみません、ご近所の方、通りがかりの際は、様子を見て知らせてくださいね。
                               (ここまで、2月13日増結)
    
    3日間の雪かきですっきりした玄関周り。屋根の雪は全部落ちています。
                                     2011.2.6

 もうすぐ「かまくら」?          2月2日増結
   
 1月29日のひたちない連絡所。「塹壕(ざんごう)」を通って玄関へたどり着きました。右の平屋部分の雪は、屋根とその下に落ちた雪がつながっていました。これって、「かまくら」?

 まったくいつまで続く雪の日々。
 1月21日(金)の夜更けに「ひたちない連絡所」に着き、雪に埋もれそうな溝をたどって玄関へ。屋根の雪は18日(火)に菊地忠雄さんたちが降ろしてくださっています。
 もちろん水道は凍結したまま。でも、雪囲いの中に灯油がいっぱい入ったファンヒーターが置かれていました。菊地さんが凍結解除用に持って来てくださったものでした。

<凍結解除!>


 南側の雪です。 2011.1.22

 池にもこんなに雪がせり出していました。

 翌22日(土)朝、一かきして、朝のパンを食べてから菊地さんにご挨拶。ファンヒーターは台所を暖めて水道管を解凍するのだと教わりました。FF暖房とファンヒーター、それにホットカーペットで家を暖めながら、外の雪かき。菊地さんが様子を見に来ました。
 昼前、台所の水道が解凍。午後、湯沸かし器からの湯も出ました。風呂と洗面所、トイレは、菊地さんが大型ドライヤーも使い、午後3時ごろには前面解凍となりました。まったくお世話になりました。

 いろいろノウハウ聞くと、どうも、私の凍結防止栓の閉めかたが悪かったようです。栓をしめたら、蛇口を開いて管の中に空気を入れなければならないとのこと。
 もちろん、それでも凍るときがあるそうですが、解凍の方法も含めて教わることができました。

 22日(土)は、ホームセンターでの買い物もあるため、夕刻に鷹巣の藤島さん宅へ。屋根の雪下ろしを手伝い、風呂に入れていただいて、ぐっすり眠ることができました。

<物置の雪下ろし>
        
      はしごの上で、「へつり棒」をあやつりました。 2011.1.23
 23日(日)は鷹巣6時34分の内陸線に乗り、ひたちない連絡所へ。この日はエコミュージアム会議が連絡所隣の環境改善センターであるのですが、その前に庭の物置の雪下ろし。いつつぶれるかと心配だったので、今回の作業の中心が、これ。
 はしごをかけて、屋根の上に顔を出し、プラスチックの「角スコ」と、高所用の「へつり棒」をあやつり、1メートル以上積もった雪を少しずつ落としました。はしごの移動は深い雪に身体を半分埋めながらの重労働。それでも、2時間で何とか作業を終了しました。
 会議に遅れて参加し、午後3時からは「ゆさんこ」で新年会。でも、疲労がピークの私は、顔がほてって体がだるく、あまり飲めませんでした。帰りの「こまち」の中では、インフルエンザになったのではないかと心配しながら、ひたすら睡眠をとって体力回復に努めました。
 日付が変わる頃にやっと八王子の自宅に着き、体温を測ったら、37.2度。少し安心して、風呂に入って就寝。
 翌朝は37.0度、その夜は36.7度に下がり、インフルエンザの恐れから開放されました。まずはよかった。 

 豪雪体験中!        2月2日増結
<正月は穏やかだったけれど>
 1月3日から6日まで、「はつかり号」でひたちない連絡所に行ってきました。年明けは雪も小康状態で、連絡所の屋根の雪は玄関部分を除いて自然落下して、玄関の屋根の雪ももある程度落とすことができました。
 4日には八王子から羽後町の実家に帰省中の友人のKさん、5日には内陸線を応援してくださっている東京のSさんご夫婦が立ち寄り、雪かきを手伝っていただきました。

 しかし、私が戻る日の6日から雪が降り始めました。東京でもたいへん寒い日が続くようになりました。そこで、家の前の持ち主の娘さんのご主人に、私が行く前に道路から玄関まで除雪機で道をつけていただきました。(ありがとうございます。)

<14日・15日>
 14日(金)の内陸線最終列車で22時30分に比立内着。積雪は120cmほど。玄関まではきれいに除雪がされています。
 家に入って、暖房のスイッチを入れ、台所の床の凍結防止栓を開けましたが、何と、凍結していて水が出ません。前日は相当の冷え込みがあったようです。これにはびっくりしました。
 水道管の凍結のため、台所の水はもちろん、湯沸かし器が機能しないために風呂への給湯もできません。そして飲み水も。こんな事態もちょっと想定してペットボトルのお茶を買ってきたのですが、あたたかい飲み物を得るために、たくさん積もっている新雪を鍋に入れてガスで加熱しました。ただ、雪はホコリ臭くて飲用には向きません。冷蔵庫の冷凍室に凍らせておいた水入りのペットボトルを、雪を沸かした湯で解かし、コーヒーを入れました。
 暖房を夜中もつけっ放しにして家を暖めたのですが、朝になっても屋根の上の雪は落ちません。ペットボトルのお茶で朝食のパンを食べて、午前7時前から、とりあえず、家の周りの雪かきを始めました。そして庇部分に積もった雪を、となりのEさんに高所用の道具を借りて、削り落としました。
 屋根の雪下ろしは私では無理なので、菊地電気の菊地忠雄さんに相談したら、下ろしていただけるとのことで、一安心、いや、百安心くらいしました。ありがとうございます。
 水道は使えませんが、保温が効いていたトイレの水は凍結していませんでした。ただ、水を流しても次の水は供給されないので、裏の池の水を汲んでタンクに入れる仕事が必要ですが、トイレが使えるのはありがたいことです。
 <「こまち」もたいへん>
 15日(土)の雪かきは午前中まで。11時過ぎに区切りをつけて帰り支度をしていると、テレビで「東北新幹線不通」のニュース。小山駅での架線トラブルし信号機故障で、11時20ごろ運転再開とのことなので、比立内12時03分の角館行きに乗りました。
 角館に着くと、「こまち」は動き始めていましたが、私の乗る28号は、何と運休。この日は栃木県那須町の「やまばと館」(上桧木内出身の門脇成英さんの別荘)で、「秋田を応援する首都圏文化会議」の事務局合宿なのです。とりあえず、門脇さんに、遅れることを連絡して、空いた時間に角館温泉で温まりました。前の日に入れなかったので、極楽、極楽。
 角館から「こまち30号」に乗り、デッキに立って仙台まで。仙台からの「やまびこ148号」は、他の運休列車の代替で臨時に那須塩原駅に停車するという幸運。予定よりも40分ほど遅れただけで、迎えに来た門脇さんの車で「やまばと館」に向かいました。

<栃木も、雪>
 那須塩原に着いたころから、ここでも雪が降り始めました。夕食・宴会のときもどんどん降ってきます。カラオケが始まることには、外のデッキも雪化粧。参加者(全部で10人)は、雪の降る中外のウッドデッキで熱唱を続け、寝たのは午前になってからでした。
 翌16日(日)朝、もちつきをして(私はここでも雪かき)、もちバイキング。会議の後、またもちバイキングの昼食をとり、かたづけて車で出発。みなさん、たいへんお疲れさまでした。
                                  (ここまで、2月2日増結)


 手伝い、ありがとう             (12月30日増結)
   
     北側の雪の山を崩しています。山が屋根とつながらないことが必須。
                                    2010.12.26

 12月25日(土)未明に「はつかり号」で八王子を出発しました。クリスマス寒波の襲来で、郡山からは雪。シャーベット、圧雪の東北道を70〜80kmで走ります。途中、宮城県の築館と若柳金成の間は事故で通行止。国道も渋滞していたので、伊豆沼の北岸を回って若柳へ。雪道ながら渋滞はなく、すんなりと若柳金成インターに入りました。

 盛岡インターで降り、雫石駅で全国鉄道利用者会議の宝田さんと合流。宝田さんは前日の「ムーンライトえちご」が運休になったため、高速バスで盛岡に出たのです。仙岩峠を越えて、たざわこ芸術村のレストランでお昼。ひたちない連絡所についたのは午後3時近くになっていました。
 この日は夕刻に利用者会議代表の清水さんが到着する予定。それまでに玄関までと東側の除雪を2人でしました。そのあとの風呂が温かかった!
 清水さんが到着したので、風呂に入ってもらい、夕食、懇談。清水さんは出張先の札幌からJRと内陸線で来てくれました。

 翌26日(日)は、朝食後、また降り積もった雪を3人で処理。たいへんお疲れさまでした。ありがとうございました。この日は鷹巣に出て藤島さんと合流。4人でフランス料理のランチのあと、懇談。清水さんはそのまま出張先の札幌へ。私は内陸線で比立内へ。宝田さんは藤島さん宅にお世話になりました。

 それにしても、先週がんばってかいた雪は、低気圧接近の大雨でほとんど解けてしまい、24日からまたどっさり(といっても40cmくらい)積もったとのこと。先週の雪かきは何だったの?思いましたが、トレーニングにはなったので、よしとしなければ。

 29日朝、雪かき(北側の、屋根から落ちた雪の山を削って低くした)を終えて、今年の活動は終了。八王子に午後9時半に帰着しました。
 年明けは3日から6日朝まで、連絡所周辺で活動の予定。1月は会議などもあるので、毎週、ひたちない連絡所に出かけることになりそうです。
 それでは、よいお年をお迎えください。

 スノーダンプで雪を運ぶ清水さん。

 道路の流雪溝に投入。右はEさんの奥さんです。

 南側の池に、屋根から落ちた雪を投げる宝田さん。

 北側の雪の山を崩して、今年の作業は終わりました。 12月29日朝です。
                             (12月30日増結)

  一気に雪が来ました 
  
       積雪50cmの、ひたちない連絡所です。 2010.12.18
 12月17日(金)の夜更け、最終列車で比立内駅に降り立ちました。静まり返った駅前の道は白く浮かび上がっていました。いよいよ雪の、ひたちない連絡所です。玄関までは20cmほどの積雪。雪をかき分けて雪囲いの戸を開けました。
 翌朝、雪はさらに30cm近く積もったようです。朝食を済ませて身支度を整え、いざ、出陣。前の家のEさんは、すでに雪かきを始めています。
 まず、裏の池の近くに積もった雪を、池に投げることから始めました。2階の屋根の雪がだいぶ垂れ下がっていて、気温が上がれば一気に落ちそう。頭上を気にしながらの排雪作業です。
 玄関から道路までの雪は、道路の流雪溝に流します。Eさんにうかがって、管理する組合の組合長さん(すぐ近所)のお宅にごあいさつに行きました。管理費は1年間で2,000円程度だそうです。連絡所の裏の用水路の水が、ぐるりと巡って流雪溝に流れているとのこと。
 年末年始は車で来るので、何とか駐車スペースを確保したい。そこで、道路から玄関までの半分は全面除雪、それより玄関側はスノーダンプ(下の写真の赤い道具)の幅だけの除雪にしました。
 池と流雪溝、そして、雪が落ちる屋根からのおかげで、ずいぶん楽になっているのだなと思いました。18日朝の作業中にも、となりの家(連絡所の池に水を供給してくれている家)の屋根から「ザァー、ドドッ」と雪が落ちてきました。あの下敷きになったら大変。遊園地の「絶叫マシン」は怖いだけで安全なのですが、こちらははっきり、「危険」。気をつけます。

 灯油タンクやガスボンベのある、東側。作業前です。
 2日間、計4時間かけて雪をどけました。 


 雪捨て用の池が大活躍。これだけの雪も、夕方には解けてしまいます。


 19日朝、エコミュージアム会議の皆さんです。この除雪の幅がスノーダンプの幅。となりの環境改善センターでこれから会議。
 屋根の雪は18日のうちに滑り落ちて、すっきり。19日朝は落ちた雪をまたどけました。2日間で計4時間の雪かきをしました。疲れましたが、これも春からのイワナ釣りのためのトレーニングだと思えば……。
                                  (12月21日増結)

  (12月2日増結)
    
 連絡所の南側の、旧・小学校グランドへの小道から。連絡所(手前中)、比立内駅(左奥)、そして遠くに大阿仁小学校を望む。  2010.11.27
   
                    霜模様
   2010.11.27   

     
 隣の家の池から連絡所の池に水を引くパイプが設置されていました。Mさんがつけてくださったのだと思います。冬は雪を解かすために、この池が重要な役割を果たします。春からは、宴会場への通路になるため、今、水が出ている太いパイプは取り外して、その下の細いパイプだけにしようと思います。     2010.11.27

 11月26日(金)、角館からの阿仁合行き最終列車で比立内着。ひたちない連絡所に22時半ごろに着きました。暖房をつけ、風呂に湯を入れて、まずはゆったり。この日は日付が変わってから就寝。
 翌27日(土)は快晴。朝の室温は6℃、玄関の外は−2℃でした。昨日八王子から買ってきたパンを食べ、8時14分の角館行きで上桧木内へ。紙風船館での「秋田内陸線沿線エコミュージアム会議」の事務局会議は10時からなので、わくわくマーケットでお茶とリンゴををごちそうになって(ありがとうございます)、温まっていました。そう、午前中も会議になったために、阿仁合の田村理容店には行けなかったのです。12月は必ず行かなければ。
 ひたちない連絡所の裏手は、もとの小学校のグランドです。そこへ上る斜面には地元の人たちがツツジを植えて、遊歩道として整備しています。春には桜の花が……。これは絶対に花見の会をしなければ。5月に入ってからかな。
                                (12月2日増結)


      ひたちない連絡所、開設!(11月18日増結)
     
                                   2010.11.1
   
     雪囲いが設置された「ひたちない連絡所」です。 2010.11.1


 居間にFF暖房を設置しました。ホットカーペットはFさんからいただきました。


 Kさんからいただいた火災警報器を各部屋に設置しました。

 雪囲いをしに行ったのですが、すでにご近所のMさんが全部済ませてくださっていました。ありがとうございます。これは玄関です。居間に至るまでに戸が4つになりました。



 1階の窓の部分は全部覆われています。

      
 9月の連絡所。玄関の反対側です。畑と雪捨て用の池があります。手前はFさん。2階東側の窓は、ふだん使っていなかったため、トタンでふさがれています。畑は近所のMさんが世話していました。来年からは私の仕事です。手前の、大根が植わっているあたりを、野外宴会場にする予定。
        
 花壇の縁石代わりに、40年ほど前に廃止になった森林鉄道のレールが使われています。前の持ち主・Sさんの亡くなったご主人は営林署に勤めていたそうです。これも「縁」ですね。
                                        (11月18日増結)

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